1. 『広辞苑』(岩波書店)では第三版(1983年)ではジャポニスムという言葉は掲載されていなかったが、第四版以降(1991年第四版出版、1998年第五版出版)には「ジャポニスム⇒日本趣味。特に19世紀後半のフランスで浮世絵の移入やパリ万博博覧会の出品物により流行したもの。特に印象派の画家などに影響を与える。」と書かれている事から、ジャポニスムはここ数年に浸透した言葉なのである。
  2. ジャポニスム(Japonisme)はフランス語が言語であり、近年英語でもジャパニズム(Japanism)やジャポニズム(Japonism)とせず、Japonismeを使用する例が殆ど。ドイツ語ではJaponisumusを用いている。最初の使用例はPhilippe Burty(フィリップ・ビュルティ)によるもので、1872年雑誌『Renaissance Lette´raore et Artistique』(ルネッサンス・リテレル・エ・アルティスティック。邦題『文学と芸術のルネサンス』)に見られる。ビュルティ氏はこの雑誌に「ジャポニスム」と題する論文を、翌73年まで7回にわたって連載し、〈ジャポニスム〉を日本美術熱、日本文化研究に関わる語として用いた。(馬淵明子著『ジャポニスム―幻想の日本―』251頁)
  3. ジャポニスムには2つの意味を含むため、これを単に”日本趣味”と翻訳してしまうと、一時的な流行りや単なる日本かぶれなどといった、印象の強い文化の表層的な捉え方になってしまう。そのため物の本質を表わしていないように思われる。またこれをジャパニズムと言うと、明治時以降欧米に大量輸出された国籍不明のデザインで安っぽい日本の扇のような雑貨をイメージしがちで、単なるジャパニスク・テイストのような意味が強くなってしまい、これも適当でないように思われる。そこで以後ジャポニスムという語を使用する。
  4. ジャポニスムがジャポネズリーの意を含みこむきっかけの一つとして、Genevie`ve・Lacambre(ジュヌヴィエーヴ・ラカンブル)の定義がある。彼女はこれをフランスに見られる現象で、段階的に発展したと断っているが、現在の我々の知識では、西欧のジャポニスム全般と広げて考える事が出来る。
    1. 折衷主義のレパートリーの中に、日本のモティーフを導入する事。これは他の時代や他の国の装飾的モティーフを排除せずに加わったものである。
    2. 日本のエキゾティックで自然主義的なモティーフを好んで模倣したもの。自然主義的モティーフは特に急速に消化された。
    3. 日本の洗練した技法の模倣。
    4. 日本の美術に見られる原理と方法の分析と、その応用。 (”Les milieux japonisants a´ Paris 1860−1880”より)
  5. 深井晃子著『ジャポニスム・イン・ファッション』40頁。
  6. 馬淵明子著『ジャポニスム―幻想の日本―』、三井秀樹著『美のジャポニスム』参照のこと。
  7. 深井晃子著『ジャポニスム・イン・ファッション』48〜49頁。
  8. 馬淵明子著『ジャポニスム―幻想の日本―』23頁。
  9. ユニティ(Unity)⇒魅力ある美靴品にはその作品を構成するプロポーションやバランス、シンメトリーなどの造形秩序が微妙に組み合わさっており、全体としてこれらの要素を統一する原理である。(三井秀樹著『美の構造学』〈中公新書〉より)
  10. 大島清次著『ジャポニスム』189頁。
  11. 三井秀樹著『美のジャポニスム』77頁。
  12. その他にはイギリスのモリス様式、フランスのモダン・スタイル、ギマールの地下鉄の装飾からメトロ様式、ベル・エポック、スティル1900、ドイツの波の様式、ベルデ様式(アンリ・ヴァンデ・ヴェルデから)、イタリアのベルギー線など、アール・ヌーヴォーに関する名称でも、ヨーロッパ各地の特色が出ている。
  13. ゼセッション(Sezession)⇒分離派。19世紀末に結成されたウィーン・ドイツの芸術集団で、言い換えればアールヌーヴォーのオーストリア版である。分離派とは、伝統的な芸術表現から解放し、そこから分離した組織を目指した事に由来する。創立メンバーはクリムト、オルブリッヒら。
  14. 三井秀樹著『美のジャポニスム』85頁。
  15. アーツ・アンド・クラフツ運動⇒ウィリアム・モリスが1859年にロンドンで起こした運動。モリスは機械生産による手工芸技術の低下を嘆き、中世のギルド制(工匠制度)の職人に見られる造詣精神に戻れと主張し、機械による労働の企業化は人間性を喪失すると弾劾した。
  16. ムーラン・ルージュ(Moulin-Rouge)⇒「赤い風車」の意味。1889年にパリのモンマルトルに開店したナイトクラブ。後に「フレンチ・カンカン」で有名なレヴゥー劇場となった。
  17. ケルムコット・プレス⇒1892年、W・モリスが設立した私家版印刷所。8年間に表紙・扉の活字や縁取りに趣向を凝らした65冊の書物を刊行、この出版を通じ、本の装丁、エディトリアル・デザインタイポグラフィの分野に後世大きな影響を与えた。
  18. タイポグラフィ⇒文字のデザイン。厳密に言えば、活版印刷のことを言い、また活字のレイアウトや組み方などの印刷の体裁のこと。
  19. ガレの生涯はガラス工芸の新しい表現のための技術開発への挑戦であったと言っても過言ではない。例えば、「サリシュール」はガラスとガラスの層の間に金属酸化物を混入する技法で、新しい色を開発した。「ペルル・メタリック」はガラスとガラスの層の間に金やプラチナ箔を混入する特殊な技法であり、「マルケットリー」は寄せ木細工の技法をガラス片にして応用、「アップリケ」は溶けたガラスをガラス器に貼り付ける、などといった技法を生み出し、アール・ウーヴォ―の美しさをガラスによって表現した。
  20. アール・デコ⇒今世紀初頭の機械主義社会、「マシーン・エイジ」の時代を背景として、1925年パリで開催された「現代国際装飾美術・産業美術展」に因んで作られた造語。(1966年アール・デコ回顧展『二十五年代展』に際し、イギリスの美術評論家、ヒリアーによって命名。)当時はシャネル様式、パウハウス様式、ポワレ様式などと呼ばれていた。アール・ヌーヴォーは動植物の有機的形体がモティーフになっているのに対し、アール・デコは幾何学的形体や抽象化した形と女性像などを組み合わせ、材質のハイテクなイメージを追求した。
  21. それ以前に制作された、今日残されている絵はいずれの完成作の準備として描かれた習作でしかなかった。
  22. 『Le Japon Artistique』を参照。
  23. 『Le Japon Artistique』を参照。
  24. 小林太一郎著『北斎とドガ』157〜158頁。
  25. 大島清次著『ジャポニスム』を参照。
  26. 三井秀樹著『美のジャポニスム』177頁。
  27. 例えば3:5など昔からよく使う比率は、1:1.6666・・・・・となり、黄金比の1:1.618・・・・・・と近似である。

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