☆序論

 日本では江戸時代、特に十八世紀以降鎖国によって、一見海外の世界から切り離されたように見えるが、小数の熱心な西欧主義的知識人達がヨーロッパ文明を学び取ろうと努力していた。その代表として、世界的に有名な浮世絵師北斎や広重が挙げられる。彼らは西欧芸術とその表現手段について強い好奇心を持ち、自らの作品で表現した。北斎は四十台から約三十年間洋風画の技術を取り入れ、その技術は七十代の大作『富嶽三十六景』などで見ることが出来る。
 一方、ヨーロッパでも日本開国を契機に、日本の美術品が大量に流入し始める。長崎・出島に訪れた駐日大使がまず日本の美術工芸の魅力にとりつかれ、1860年頃ヨーロッパは日本熱とも言うべき日本美術のブーム「ジャポニスム」が起きる。ヨーロッパに渡った浮世絵や扇子、刀剣、着物などが印象派やアール・ヌーヴォーの芸術家達に大いなる影響を与え、1920年ごろにはそのブームは終わった。
 彼らが影響を受けた「ジャポニスム」とは、いったいなんであろうか。彼らは日本美術からどのように刺激され、彼らの作品に採り入れたのであろうか。
 本論では、日本美術が近代の西欧美術に与えた影響「ジャポニスム」について論じていきたい。
 ちなみに研究史の後、第1章ではジャポニスムという現象を、第2章ではこれまで多くのジャポニスム研究者が注目した印象派、アール・ヌーヴォーの芸術家とジャポニスムとの関わりを、第3章では西洋人にジャポニスムが影響を与えた日本の自然観について、第4章はジャポニスムの魅力は何であるかを構図に焦点を絞って述べ、結論を導く構成となっている。


◇研究史

 ジャポニスムという用語は、1999年という現在の時点(注1)ではほとんど定着しつつあるが、その用語を用いられた本格的な研究は、まだ研究されて20年ほどのようである。それより以前の研究では「ジャポネズリー」という用語を用いていた。また、これまでのジャポニスムの研究は印象派の作品にみる浮世絵の造形的特徴を比較、その相関を探る研究が中心であった。
 日本においても最も早くジャポニスム研究を行ったのは、小林太市郎氏であろう。小林氏は「欧州芸術における日本影響の端緒」(1938-1939年)は、19世紀初頭のフランスにおける日本画の流入について、18世紀末の代表的な画家であるアングル、ドラクロワ、ルソー、コローなどに既に日本美術の影響が見られることを論じている。また、終戦後の混乱期であった1948年1月、単行本『北斎とドガ』を出版した。小林氏はまず北斎とドガとが「知的な芸術の双峰として東西の群を抜いて対立している」と判断し、『1865年以後のドガの全制作と『漫画』(『北斎漫画』のこと)その他の北斎の絵本とを比較するとき、両者を強く一貫する精神の同一なることは洵に蔽う(じゅんにおおう)べくもない」として、両者の作品のうちで構図や人物の動作が類似する多くの例を図版に表した。
 近藤市太郎氏は『浮世絵』において、この日本影響をなるべく狭く限定して印象派、その他の西洋の芸術家の主体性を重んじ、「影響」というよりはむしろ「あるヒント」としてみようとする意見を示した。
 山田智三郎氏は『浮世絵と印象派』において、印象派の画家による浮世絵の影響という問題を総合的に扱っている。山田氏は小林氏のドガにおける日本美術の影響についての説明を認めつつ、他の印象派の画家における日本美術の影響について主張した。大島清次氏や馬淵明子氏も浮世絵の造形的特徴と印象派、アール・ヌーヴォーの作品とを比較し、その相関関係を研究している。
 深井晃子氏は19世紀末のファッションに注目し、ジャポニスムが服飾・飽食などのデザインにどのような影響を与えたかを研究している。
 三井秀樹氏は、構造学の視点でジャポニスムを研究、日本の美の普遍性を述べている。


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