人生の宝(大学編)

高校1年の頃から必ず見に行ってた定期演奏会があります。地元の北九州大学吹奏楽団の定期演奏会。
北九大は私が中3の頃、全国大会まで行ったかなりの実力があるサークルでした。
高2の冬進路を決めるとき音大に行けないんだったら、せめて地元で国公立で楽器が続けられる、しかも実力があるところがいいと考えたら、
当時の私の学力で北九大がいいと思い、第1志望を北九大にしました。
高3の11月、どうせ北九大を受けるんだったら、という担任の言葉で推薦入試に挑戦。
推薦で合格しなかったら合格発表の2日後の北九大の定演には行かない!!と決めて、1ヶ月の間小論文に専念。
なんと、運がいいことに受かりました。もうそのときの喜びようといったら・・・・。

私が合格したその日、杉名さんが吹奏楽団に連絡したらしく、1月からサークルに顔を出すようになりました。
杉名さんは楽団の音楽監督として、全国大会出場した’92年から指導をしていることをそのとき知りました。

うちの楽団の練習場は24時間練習可能な大変恵まれた環境でした。
好きなとき、好きなだけ練習でき、本当に幸せ。
でも、欠点が。高温多湿なのです。夏はあまりの湿気の多さで窓に露が落ちるほど。合奏中気分が悪くなった人が多数。

入った当初、バスパートはテューバが3年3人、2年1人、1年1人の5人。コントラバスは4年2人と私1人。
しかも4年生は定演直前まで練習に来られないため、定演前まではずっとコントラバスは1人でした。
コンクールは心細かったですね。横に誰もいない。音はテューバの音でかき消されてしまう。
定演はバスパート総勢8人が唸りをあげて低音を鳴らしましたっけ。

2年の時、副指揮者になりました。1年の時の学生指揮者だった先輩に影響を受け、立候補したんです。
定演の2部はポップスステージで副指揮者が振リます。夜中鏡を見つめて指揮の練習したり、選曲に悩んだり。
本番はお客さんに結構受けていただいたようで、とても嬉しかったですね。
この年のメインの「シバの女王ベルキス」は、やった私が言うのもなんですが、好演でした。

3年、正指揮者に。団体をまとめ指導する難しさ、言葉づかい、根性、コミュニケーションの難しさ等を指導され叩き込まれました。
定演前の強化合宿のとき、泣きながら指揮の練習を杉名さんとマンツーマンでしたことが今でも鮮烈に思い出されます。
結局その日は夜が明けるまで指揮の練習をし、徹夜。翌日フラフラになりながら合奏に出ました。
何度も同じ代の子達と話し合って、時にはぶつかり合ったりもした。
そんなこんなで自分達の手で作り上げた定期演奏会。演奏はあまり上手って訳ではないけれど、感動できるステージに仕上がったと思います。
メインの「1812年」が終了し、ステージ脇にはけたときフッと力が抜け涙が出そうになりました。
そして、緞帳が下り、「お疲れ様でした。」と声をかけられた瞬間、今まで張り詰めた緊張が解け、涙があふれ出た事を覚えています。

本来4年生は引退なんですが、楽器が好きないわやん、コンクールに出ちゃいました。後輩が1年生で初心者ってこともあったけど。
最後の定演は、悔いを絶対に残したくなかったので、私たち当時4年生は徹底的に音楽面・運営面に口を出し、指導しました。
おかげで自分達の満足できる演奏会になり、打ち上げの時は感動のあまり涙する人が多かったですね。

同じ代の子達は一生大事にしたいと思います。共に苦難や喜びを分かち合った仲だから。友情は人生の宝です。
一人一人とても個性的で一癖あるけど、憎めないんだよね。
もし私が結婚する時は絶対同じ代のみんなを呼びます。そのときはよろしくね。