トラブルだらけ??(高校編)

高校は吹奏楽を続ける、と思っていましたから、志望校はやっぱりコンクールでいい成績をあげているところが良かった。そして第一志望に決めた公立高校は、学区内で1番偏差値が高い進学校、小倉高校。コンクールでもいい成績を修めている。しかし、当時の私の成績では偏差値が4から5足りなかった。当時進学塾の塾長だった父から何度も反対されました。それでも私は楽器をこの高校でやりたいという気持ちが強かった。こうなりゃ強行突破だー!!父親の反対を押し切って小倉高校の受験志願届をもらって記入。そして、晴れて高校合格したんです。
小倉高校は部室というものがありません。体育館と講堂が一緒になっているのが普通ですが、私の高校は体育館と講堂が別に建てられていて、吹奏楽部は講堂が部室みたいなものでした。全部の楽器が講堂で練習するので、なかなか自分の音が聞こえなくって大変でした。だからステージの暗幕の裏で練習をやったりステージの上手(かみて)でドアを締め切ってやったりして、必死で自分の音を聞ける環境を作ってましたね〜。
練習の後よく先輩達と一緒にボウリングとかカラオケとか制服のまま行ってました。高校の時にカラオケ・ボウリングの腕を磨きました?

何故題名が「トラブルだらけ??」というのか。高校時代色々ヤラカシてしまったんです。

@「食中毒なのに・・・・」事件
高校1年生の支部予選の日のこと。学校の夏講習を大会ということで届を出して早退、講堂で練習。その後昼食を取ったんです。
そして会場入り。その時私の体調に異変が・・。とてつもない悪寒と吐き気。どうしようもないので売店でオレンジジュースを飲んで落ち着かせようと思ったが、逆効果。5分おきにトイレに駆け込む始末。顔はみるみるうちに土色に変化してました。
時間は流れ、いよいよ本番。本番前に先輩に体調悪いのでよろしくお願いしますと言ってステージに上がりました。
さあ、課題曲が始まった。(この年の課題曲は「マーチ・エープリル・メイ」)好調にファンファーレがなった後、悲劇が。
「パチーン!!」何かがはじける音が隣でしました。チラッと横を見ると、先輩の弓の毛が全て抜け落ちているではありませんか!!先輩はピッチカートしかできなくなってしまいました。
さあ大変だ。体調が悪いとか言ってる場合ではない。気を振絞って演奏。そして家で死んだように寝ました。
結果は何とか県大会出場。そして九州大会までこの年は行きました。
この事件がきっかけで、コンクールには必ず予備の弓を持参していくようになりました。
さてさて、悪寒と吐き気の原因は・・・・弁当に入っていた「ちくわキュウリ」でした。
ただの食あたり・・・。

A「弦バスの弦なのに〜」事件
高校2年生の時の課題曲。この年の前からから課題曲がマーチと6分以上の長い曲とが交互になって、この年は長い曲でした。私達の学校が選んだ課題曲は「饗応夫人」。
この曲で私ははじめて「バルトーク・ピッチカート」を経験します。(バルトーク・ピッチカートは、ピッチカートをする際に弦を指板にぶつけて打撃音も出す奏法のこと。)
OBの先輩(某S日フィルのフルート奏者でいらっしゃる)からコンクール前は「ピッチカートの音がせん」「指板の音しかせんからやり直し」とかなり注意されました。負けず嫌いのいわやんさんですから、これでもか、これでもかとバルトーク・ピッチカートの研究をしました。
コンクールが終わり、2学期の始業式の日。始業式など式典には必ず校歌を演奏するのですがそのとき信じられないことが起きました。
普通にピッチカートしていただけなのに、弦がプツンと切れてしまったんです。しかもG線とD線と2本も!!あんなに太い弦バスの弦も夏の練習で切れやすくなっちゃったのかも。
皆さんもバルトーク・ピッチカートのやり過ぎには注意しましょう。

他にはネックにヒビが入っているのをコンクール1週間前に気づいて慌てて修理に出したりとか、松脂を溶かしてしまって使い物にならなくしてしまったことも多々あり。本当に楽器に関して災難だらけでした。(半分は私に責任があるのですが。)

高校時代の顧問(うちの高校では「部長」と呼ばれてますが)の木村先生は、いい先生です。生徒の言葉をしっかり受け止めてくれます。
先生は大学時代、コントラバスを経験していたということもあり、私のやることに理解を示してくれました。
先生からコントラバスのレッスンを受けたことがないのは心残り。
「駒があってないです」「この弦じゃいい音は出せません」「弓の毛、松脂がつかなくなったので交換してください」「バス椅子が欲しいです」
入学したての生意気な私の注文を、先生は即座に修理・購入して私の演奏しやすい環境に変わりました。
指揮の方は、緊張して指揮振る手がプルプル震える、チャーミングなところもありました。(今はステージ慣れして立派な指揮をふります。)

高校時代、合奏をいろんな先生方にレッスンしていただきました。
高1のときの課題曲4の作曲家・矢部政男さんでしょ、指揮者・作曲家・編曲家である淀彰さん、
あと、元福岡工業大学付属高校指揮者で現在ラスベガスで教鞭をとっておられます鈴木先生(タッド鈴木)。
そして後に大変お世話になることになる杉名信二先生。
たくさん表現の方法や技術、音色等学びました。

楽器の方も、高1の冬から積極的に公開レッスン等に行ってました。この頃、コントラバスはすごく魅力的な楽器だと気づき始めました。
「こうなりゃ、生涯現役もいいかな??」と思いました。
弓もこのときお年玉をはたいて買いました。
いよいよ進路を決める時期、もっとこの楽器の事を知りたくなり、知るには音大に行こう!!とまで考えたのですが、
経済的なことを考えて渋々断念。地元の大学に行こうと決意したのでした・・・。