第4章 ジャポニスムの造形


☆ジャポニスムの美の造形とは

 前章の「応用美術の見直し」において、西欧の芸術至上主義と日本の美術の精神性について述べたが、欧米の芸術家や評論家、コレクターなどの識者の垂涎の的となったジャポニスムの造形としての魅力は、一体何であろう。日本美術の造形的特徴は、前章の「非シンメトリー性」で既に述べたように、西欧がシンメトリー性に対し、日本美術にはアシンメトリーに優れた職人・芸術家が揃っていた。
 西欧美術社会を震撼させた日本美術の美の造形は、非対称の形や構図を表わすアシンメトリーであったのだろうか。確かにアシンメトリーは日本美術の構図を躍動感溢れる美術的魅力に仕立てたことは事実であり、これまで多くのジャポニスム研究者の殆どに見られる回答だった。
 例をあげると、ドガの「花束の踊り子」(Danseuses saluant)は小林氏の説によると、踊り子二人の4本の腕の構成的な配置が非対称で奇抜であり、このような表情・形象を例えば北斎の『北斎漫画』の「野分図」などで既に見られると論じている。他にも、印象派やアール・ヌーヴォーの芸術家の作品と、北斎や広重などの浮世絵や『北斎漫画』などの絵手本と比較し、構造の類似性を述べている論文が多い。
 しかし、アシンメトリーのほかに日本独自の造形技術があるのではなかろうか。そこでこの章ではジャポニスムの造形に焦点を絞って論じていきたい

☆非定形の美

 構造学が専門である三井氏は、日本美術の造形原理は「非定形」ではないかと述べている。非定形とは、「垂直・水平線で囲まれた方形や人工的な形を排除した斜線や曲線が入り混じった造形や構図」のことである。日本美術に見られる中心を外した構図や余白を活かした構図、画面を断ち切るモティーフなどは、「無意識的に自然の造形に原点を置こうとする日本人の非定形への自然な『帰結』なのだ」と三井氏は言う。中心をわざと外した構図や画面を断ち切る構図は、マネやドガが多く取り入れた。
 マネ作「笛を吹く少年」は略服に赤いズボン、警防姿の若い演奏家が灰色一色の背景に浮かび上がっている。影が足下に少し描かれているだけだ。中心となる人物をまるで切り取られたかのように画面に描く画法は、日本の浮世絵に見られる画法である。
 ドガの一連の「踊り子」の絵は、視線をやや斜め上に置きメインにおく人物を中心より少しずらした構成である。この構造により、メインの踊り子は鑑賞する側に生き生きとした印象を与える。ドガには他にも「アブサント」においてもこの構造を用いており、中心からずらす構図は彼にとって日本美術から影響を受けたお得意の構図であったのであろう。
 同じく土が咲く「マネとその妻」は、右端約1/3が切り取られ無地のカンヴァスを継ぎ足している、とても奇抜な絵である。この作品は、はじめドガが完全な形でマネに贈ったところ、マネが自分の妻がよく描かれていないとピアノを弾く妻の部分を縦に切り裂いた。ドガは激怒し、この作品を持ち帰って描き直そうとして無地のカンヴァスを継ぎ足し、しばらく部屋にかけているうちに結局手を加えなかった。小林氏はこの切り裂かれた作品の構想を練っているうちに、ドガはその切られたところで絵そのものを裁断する奇異を得たと推測している。「ピアノの除去によって絵そのものを裁断するに一種不定の奇異な印象若しくは心理的雰囲気が生じたので、彼が得る所、悟る所があった」と言う。また、「右端を切除して好かったとは感じながら、猶おそこに何か足らぬものができたように心残りして、その代わりにそこへ無地のカンヴァスを継ぎ足しそこに署名した」とも言っている。(注24)
 しかし、小林氏の前者の説は認めるが、後者の説は少し読み過ぎではないであろうか。なぜなら、この絵の無地のカンヴァスの署名がドガの自筆であるのか、または死後売り立ての際の押された印判であるのか疑問が残っているのである。
 日本美術に見られる非定形の美は、これまで人間は自然を征服すべき対象であり、芸術の造形行為は定形の概念が根底にあった西欧の芸術家にとって大変新鮮であり、彼らを一瞬にして虜にしたのであろう。

☆日本美の表現の特徴

@アシンメトリーと誇張

 エルネスト・シェノーが日本美術の特徴の第一に挙げたものが、左右非対称アシンメトリーである。これまでの西欧美術はシンメトリーに準拠しており、このような伝統的表現が逆にヨーロッパ、特にフランスの工芸の発展を阻害したとまで言っている。また誇張表現はシェノーは「アクサンチュアシオン〈強調)」といっている。人物や動植物の特徴的な表現や形状の表現性を高めるため、表現の省略、強調・加筆、単純化・整理、抽象化、平面化を行う方法を指す。おそらく、シェノーは浮世絵の美人画や写楽に代表される役者絵にみられるような顔の表情や、北斎・広重の自然景観の表現からこの視覚的特徴を挙げたのであろう。現代のイラストレーションの技法もまさしく、シェノーの挙げた日本美術の特徴に準拠しているのである。

A余白を活かした構図

 ヨーロッパの多くのコレクター・芸術家が感嘆し、ジャポニスムの原点となった構図である。しかし日本では既に平安期の絵巻物・織物など王朝時代からこの技法は取り入れられていた。余白を活かした構図にすると、時に人物などの対象が画面から断ち切られてしまう。しかしこれがかえって動的、かつ変化に富んだ表現を生むのである。印象派の画家達がジャポニスムによって衝撃を受け、強い関心を持った直接的影響は日本美術の構図にある。彼らの画風にはこれまでに見られなかったモティーフ、例えば画面から断ち切られたり、端に寄せたアンバランスな構成であったり、大きな余白をもつ作品の傾向が顕著となった。

B斜線の構成

 画面中央から対象線上にモティーフが大胆に横たわるダイナミックな構成。この技法は2つある。ひとつはモティーフが画面中央を斜めに横断する構図である。もうひとつはいくつかの対象がバラバラ配置されているが、斜めの見えない線で結ばれているという構図である。2つとも日本の王朝時代から見られる日本美術の特徴的な表現技法である。
 日本の屏風絵、襖絵や色紙、短冊、掛け軸まで、日本の装飾画は斜めの線が多様化された。また日本の着物の小袖や打掛も、これほど斜めの構図を見事に活かしているデザインが世界にないと思えるほど斜線が走っている。

C抽象化した装飾的表現

 日本美術は日常生活の身近なモティーフを抽象化し、総則的な表現として様式化する。モティーフを観察し、造形的特徴を活かしながら単純化を進め、形として整理しながら抽象化していく。紋章に見られるように、はじめから菱紋・角紋・鱗紋など幾何学的な造形をモティーフにして紋章化する。更に紋様をシンボルとして扱い、装飾の中に組み込まれたり、地紋として用いられたりした。
 かつて明治初期に来日したフェノロサは、日本美術の特徴はズバリ抽象性にあると語った。一方、昭和初期の評論家である滝精一氏は、日本美術の特徴はその精神性にあり、そのため表現が抽象化するのだと反論した。
 いずれにしても「抽象」も「精神性」も日本の工芸美術の表現において重要な要素である事には間違いない。

D平面的表現性と大胆な色彩

 絵画は対象をいかに生き生きとそこに存在させるか、再現する表現技術を開発してきた。西欧絵画ではハイライトと陰影の付け方、対象の材質感、存在感を高めるための描写法、遠近法を開発した。一方日本の美術は東洋の美術を含め、遠近法は存在しなかった。対称の情報と下方の位置、大きさ、暈しなどによる表現法で遠近感を出した。
 またシェノーはこの点について、ジャポニスムとシノワズリーとを比較して、日本と中国では違った表現性を有すると指摘している。大島氏は「だが日本人たちは、彼らの隣人たちのそうした装飾美術の成果のうらに、さらに一段の進歩を達成したのである。中国人たちのように、その陶器でも、装飾画でも、彼らは組織的に明暗法を使用をしりぞけたが、しかし独自の英知をもって、線的な幾何学的遠近法と、私が感覚的遠近法と名付けている遠近法とのすばらしい融合を受け入れたのである。」(注25)とある。
 日本美術は伝統的に陰影のない輪郭線と平面的描写によって、三次元の対象を二次元の平面に咀嚼したため、単純化され、抽象化された表現を認識したのである。これは色彩の美術の大胆な扱いにも影響を与え、鮮やかな色彩となって表現される。ゴッホやモネなどは日本美術の鮮やかな色彩を自身の作品に採り入れた。

E非定形と定形のバランス感覚

 これまでのジャポニスム研究では指摘されていないもので、三井氏が指摘しているものに「非定形と定形の微妙なバランス」という特性がある。日本の美の対象は、四季と豊かな自然や動植物である。これらの対象はすべて非定形の形に囲まれている。非定形のモティーフと紋様の装飾性を巧みに組み合わせるバランス感覚と高い構成法は、日本の美術以外は見受けられないと三井氏は言う。三井氏のこの意見は、日本の美の特性についての新しい発見であると言えよう。
 これらの日本美術の高度な表現性が西洋を虜にし、ジャポニスムを持続的に、かつ強い影響を及ぼす文化の転換の原動力にしたのである。

☆日本美と黄金比

 西洋の美と東洋の美の原理で決定的な違いは、西洋ではシンメトリーと黄金分割であり、東洋ではこれに対する美の法則が無いに等しい。
 ただし、日本の美術では非定形と等量分割が美の法則としてある、と意見を述べたのは、三井氏である。西洋の黄金分割と日本の等量分割の美の基準の違いが、ジャポニスムを誕生させた要因となったとも言っている。(注26)
 黄金分割とはAとBとの割合がA:B=B:(A+B)=1.618・・・・・となる。つまり、小と大との割合が、大と大と小との和の割合になる。この黄金分割は古代エジプト時代に生まれ、ギリシア時代には既に実用化された美の摂理である。西洋ではパルテノン宮殿から建築・絵画・陶芸等の生活空間を飾るあらゆる対象に、黄金分割が絶対的なものとして使われた。19世紀末、日本の美術工芸品を眼にしてその斬新なプロボーションに驚嘆するまで、結局西洋では黄金分割とシンメトリーの2大摂理から離れられなかった。
 これに対し、日本の等量分割は伝統的な日本建築の間取りに用いられており、畳の比率も1:2である。半畳は1:1の正方形で、このサイズの畳を加えるとどんなサイズの部屋でも対応できる合理的な分割法である。また障子・格子窓・格子戸・格子垣・格天井・連子窓や、石畳の配列から生まれたと言う市松模様に至るまですべて1:1の分割によるものだという。
 等量分割の美しさはその分割の単純性にあり、一瞥して認識で切り歯切れの良さにある。そして極めて単純な分割でありながら、黄金比のような美しさを併せ持つ。(注27)アメリカのプロポーションに関する研究家、ジョージ・ドーチ氏は最近日本の神社仏閣や桂離宮を調査して、日本の建築にも黄金比が多様化されており、あたかも日本人も古くから黄金比を知っていたかのような分析を行っている。これは間違いであり、等量分割と黄金比が近似であるからドーチ氏はこのような分析をしたのであろう。それだけ等量分割は黄金比と大差が無いという事である。
 欧米人を驚かせた大胆な構図、余白を生かした構図、画面がモティーフを断ち切る構図はすべて日本人の自然観に基づく等量分割と数理性と非定形の美学を併せ持った日本人の美意識であると、三井氏は力説している。
 私はこの三井氏の意見は、格子戸や畳の比率などの日常的な題材を例にし、理解しづらい黄金比・等量比を細かく説明しており、大変説得力がある。他のジャポニスム研究家とは違った視点でジャポニスムを研究しており、面白い意見だ。しかし私はこの三井氏の説は極論過ぎてはいないだろうかと思う。

☆西洋化された日本美

 これまで読んできたジャポニスム研究の論文の中で、疑問を抱いた事がある。それは少なくとも私が読んだ論文の中に、北斎や広重などジャポニサンに最も好まれた浮世絵画家が洋画も学んでいたということが殆ど書かれていないことである。西洋に移入した北斎・広重の中には、既に西洋化された作品もあったのではないか。
 例えば、研究熱心だった北斎は50代から洋画の手解きを受けた。彼の70代の大作であり、彼の代表作でもある『富嶽三十六景』の「神奈川沖浪裏」や「遠江山中」など、西洋の基本的描画法である遠近法を用いている。「神奈川沖浪裏」は大波に翻弄される3隻の押送船と襲い掛かる大波の間に、日本一高い山であり霊峰でもある富士山が、遠く小さく、しかし泰然自若として雪を抱いて描かれている。また、北斎自身西洋の輸出向けの作品を100点ほど描いていたという。北斎が描いたとされる輸出向けの絵画は、残念ながら私は見ることが出来なかったのだが、おそらくゴッホが所有していた三代広重の輸出向けの画帖のような作品や、『富嶽百景』のような風景画帖であろう。(『富嶽百景』は『富嶽三十六景』より後に描かれている作品であり、『富嶽三十六景』より遠近法を多用した作品が多い。〉
 同じく広重も洋画を学んでおり、彼の風景画は殆ど遠近法が用いられている。ゴッホが好んでそのまま油絵で模した「名所江戸百景色 亀戸梅屋敷」も、画面いっぱいに一本の梅を描き、奥に眼をやるとだんだん梅の木が小さく描かれ、一番奥に梅を見物する人々が見える。これは明らかに西洋の遠近法ではないか。
 この「西洋化した」浮世絵については、これまで多くの浮世絵研究家によって指摘されていた点である。しかし、ジャポニスム研究の論文では、高階氏が「西洋化された」浮世絵とジャポニスムの影響について少し触れている以外、見受けられないのである。なぜ「西洋化された」浮世絵の問題が殆ど無視されたような状態のまま、今日まで至っているのか不思議な点であると思う。
 このような「西洋化した」浮世絵が移入していたことは、ゴッホやモネらが浮世絵を模写した作品から見ても明らかである。彼らは「西洋化した」浮世絵を模しながら、日本美術の構図や色彩を学び、それらを彼らの作品に採り入れた。
 私は北斎や広重は「西洋化された」絵画であったため、西洋の人々にとって他のどの日本の美術と比較して親しみやすく、いち早く浸透する事が出来たのだと考える。この「西洋化した」芸術であったために、北斎・広重が西洋で非常に高く評価され、西洋の美術に大きな影響を与えた理由のひとつとして加える事は決して過言ではないと思う。


←BACK     NEXT→

目次へ

「ビジュツ」サイトへ

トップへ