第3章 ジャポニスムの自然観


☆ヨーロッパと日本の自然観

 ジャポニスムと呼ばれる広範囲な芸術運動は、西洋世界に様々な趣味的・芸術的・思想的変化をもたらしたが、その中で比較的看過されがちでありながら重要な側面である、日本的自然観の導入がある。このしょうではこのジャポニスムの自然観について述べていきたい。
 西欧での価値観はキリスト教が築き上げたものであった。神を頂点に置き、人間をその下に位置づけた。そして自然は最も下のランクを占め、単独には低い価値であった。全体の風景としてでこそ意味があるのであって、自然を単独の絵画の主題として意味を認めるという発想は、19世紀後半になるまで存在しなかった。(注21)
しかし、キリスト教の勢力が弱まるにしたがって新たな側面を迎えることとなる。産業革命によって悪化した都市という生活環境を補うものとしての田園・自然への眼差しが次第に熱いものとなった。また科学技術の発展により、自然の驚異から身を守る術を身に付けたため、自然はかつてないほど人間にとっては近く、親しみやすいものとなった。
 西洋文化が日本美術の自然の捉え方を知ったのは、こうした自然との関わり方を探りつつあった時点においてだった。
 西洋では「自然 Nature」の言葉には二つの意味がある。ひとつは外在する環境としての山河、動植物などいわゆる風景の構成物、もうひとつは人為的な人工の概念と対立するものである。前者は先ほど述べたとおりで、後者のほうは自然と人間は対峙しており人間は知恵と勇気を持ってすれば必ず自然を征服できるのだ、という信念である。このため、西洋文化に定型の人工的な形が主流を占めているのである。
 しかし近代以前に日本人には、この二つの概念は厳密に区別しがたく、西洋人と比べて人間的な要素と自然的な要素の対立概念が希薄であった。というよりは、自然と近づこうとすることが日本人にとっての美意識であり、西洋のような対立概念はなかったというほうが正しいだろう。そのため、基本的に人間表現が主流であった西洋の美術と比べて、山水画や花鳥画に代表されるように自然の主題、モティーフに非常に重要なものとして扱った。
 日本美術に見られるモティーフは、これまでの古い秩序へ疑問を抱いた人々(ビング、シャンピエなど)によって意図的に賞賛されるようになった。

☆動植物の自然観

 日本の絵画と西洋の絵画の自然を対象とした分野を挙げると、日本は山水画・花鳥画、西洋では動物画・静物画がある。しかし、前項にも述べた通り、西洋は日本とは違い動物画・静物画は宗教画・神話画・歴史画などよりもはるかに低い価値で見られていた。しかもこれらの分野の発生は主に博物学的興味から発したものであった。静物画は虚栄といった価値観から発したものとされ、動物画は狩猟画から派生したものであるという。また、静物画について西洋人はたとえ自然の一部を描いているとしてもそれは自然界全体を指し示しており、「死」を連想するという。
 『芸術の日本』においてAry Renan(アリ・ルナン)氏は目の前の対象から装飾的な面白みを汲み取ってしまう日本人の特徴を次のように述べている。
 
 「小美術においても大規模な芸術においてと同じように、日本の芸術家は生命を至るところに浸透させている。幾何学的文様が用いられることはむしろ稀であり、建築・絵画・彫金・陶器いずれの場合も、自然界の生物からとられた装飾模様がその代わりを果たしている。(中略)私たちの最初の反応は、我が西洋の美術の中ではささやかな役割しか割り当てられていない「獣」を、日本人はこんなにも偏愛するということに対する驚きであることは否めない。言ってみれば、我々西欧人は、眼を常に上に向けてきた。崇高なもののみを問題にしてきた。そのため、外界や人間に劣る生物達に対して、ごく最近まで注意を向けようとはしなかった。それらとてこの地球上では同等の資格を持って生活しているのに我々はそれらを意に介さなかったのである。」(注22)
 
 ルナン氏は動物表現には自然界に生きる動物そのものとして描いているとも述べているが、それだけではない。日本の自然表現は長い間人間の感情と表裏一体で、詩歌のモティーフとして切っても切れない関係であった。
 北ドイツを代表するジャポニザンであり、1880年代からハンブルグ装飾工芸美術館に優れた日本美術を蒐集したJustus Brinckmann(ユストゥス・ブリンクマン)氏は日本の詩歌の特質について1889年、次のように述べている。
 
 「何よりも四季の変化こそが、古典時代の詩人の心を熱く満たしたのだった。新しい季節が来るたび草木や花が咲きまた枯れてゆき、美しい祖国の風景がさまざまに移る姿を、詩人は叙情のaphorisume(仏語で「格言」の意。ここでは「和歌」を指しているのであろうか。)という簡潔な形式のもと、我々の前に繰り広げて見せてくれる。しかし、それだけではない。詩人達はこの草木の移ろいが動物達の生活にも影響を与えることに感動する。しかし、またそれだけもない。詩人はさらに、これらの景観が人間の心に呼び起こす感覚・感動を、最も微妙な陰影にまで立ち入って言い表したのである。」(注23)

 

☆水墨山水画・仏教美術

 日本の自然表現のうち、大きな位置を占めているはずの山水画や仏教美術がからの影響が殆ど与えられていない、と馬淵氏は言う。その理由を馬淵氏は次の三つを挙げている。
 
 @、中国美術と山水画・仏教美術との区別がつきにくいこと。
 A、西欧人が好んだ浮世絵との特徴とは対極的であったこと。
 B、それらが高価だったため、浮世絵と比べ圧倒的に数が少なかったこと。
 
 しかし、この馬渕氏の主張は疑問を抱くところが多い。理由の3番目については明治初期の廃仏毀釈によって仏教美術は容易に入手できたはずである。しかも、山水画の影響が西洋美術に見られないという主張についてもジャポニスム以前、シノワズリーの時期の西洋の美術作品に影響が既に見られている。私は仏教美術のみジャポニスムの影響を与えてなかったと思う。
 当時のヨーロッパの人々にとって、三次元空間の虚構や古典主義的な秩序に基づいた構造などに行き詰っていた。そのため空間表現や構図による日本的解決に強く関心を持った。また当時のヨーロッパは自然との関わりの転換期にいた。そのため日本的な自然モティーフに強く興味を持った。
 しかし仏教美術には殆ど自然モティーフは含まれていない。それゆえヨーロッパの人々の視野に仏教美術は入ってこなかったのであろう。当時の西洋美術に仏教美術の影響が見られないのはこのためだと考える。


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